高橋和巳について |
高橋和巳を私に紹介してくれたには、大学のサークル、僻地研究会の先輩、H氏だった。読書好きのメンバーが多いサークルだったが、この人はまた格別な文学青年で、よく語り合ったものだ。そして、よくおもしろい本を教えてくれた。私の読書遍歴を聞き、「ほんなら、松井は下降系、心理系の小説がええなあ、高橋和己と遠藤周作読めや」と紹介され、素直に文庫本を買った。「黄昏の橋」だった。
高橋和己の著作は、記憶をいくらたどってみても、「みんなよく似た内容」という印象しかない。漱石の著作にもいえるけど、だいたい、このタイプの小説のポリシーを貫くなら、同じような内容にならざるを得ないのであろう。高橋和己の小説をひとことでいえば、「左翼的知識人の挫折と堕落」だと、私は思う。「邪宗門」だけは特別だが、挫折、堕落のテーマは一緒だ。小説の中では、登場人物はやたらと難解極まる会話、というより観念論の記述合戦のようなやりとりを永延と続けるのだ。「そんな会話、普通せえへんで」と、冗談で笑ったこともあるなあ。ひたすら続く思想論のせめぎ合いで活字が無限に連なってゆく世界だ。当時友達たちに「おもろいで!」と薦めてみたが、「何がおもろいねん、これ!!」とよく言われた。どこか。左翼的思想に触れ、なんらかの思索や精神的葛藤を経験した人間にしか、よくわからない世界なのかもしれない。私の感性にはあまりにもピッタリだった。
一番好きだったのが「憂鬱なる党派」。これほど難解な会話が続く小説もそうない。文庫本で3回読んだ。何度読んでもわけわからんかったからだ。先輩H氏は「最高や」というので悔しいから必死で読んだ。だいたい登場人物の顔が浮かばない。生きてないような存在感なのだ。また、情景も浮かばない。そんな描写の小説的技巧はこのタイプの著作には関係ないのだ。「黄昏の橋」や「我が心は石にあらず」を読んでいたので、ある程度、免疫ができていたが、そのふたつはまだ、ましだった。この「憂鬱なる党派」はもう極地の世界。ひたすら続く左翼思想系の観念論のやりとりばかり。しかし、読み終える頃には、夜も寝れないくらい熱中し、バイトをさぼってまで家で、何度も読み返しながら、気合いを入れて読破したのを覚えている。
「邪宗門」はあまりにも有名だが、最後のシーンがあまりにも強烈で・・・、思い出したくもない印象がある。この宗派がなんとなく革命的に発展してゆく前中半は、ワクワクして読めるのだが、これは、高橋和己氏の、夢や希望がどこかオーバーラップされていたに違いない。だからこそ、よけいにラストが悲しすぎるのである。大本教がモデルとされている。関連で、その歴史の資料も読んだ記憶がある。忘れてしまったけど。
「堕落」も悲惨だった。人間というものお情けなさをしみじみ感じさせてくれる。「我が心は石にあらず」は典型的な小説だった。一番、読みやすかった印象がある。
結局、文庫本で出てた作品は完全読破した。論文集や資料集も目を通したけれど、正直言って、さっぱりわからなかった。左翼思想そのものの知識的基盤が私には欠けていたのであろう。
そういえば、森田童子の唄の中に、高橋和己の本が出てくるのがあったなあ。当時のアングラ系左翼人のバイブル的な存在だったのであろう。私のような世代には、やや、わかりにくい概念ではある。同時期の吉本隆明もそうなのかなあ。何冊か読んだけど、あまりおもしろいものではなかった記憶がある。
ここのコラムで書きたかったのは、この左翼思想の顛末についてである。何もかもが結果が出てしまった現代だからこそ、その思想の終焉について客観的にまとめることができるのだろうけど、誰がこんな歴史を想像できただろうか?ドイツのベルリンの壁が割れた時のあのなんともいえない空虚感を感じたのは私だけではないだろう。その後に伝えられる共産主義国の悲惨な現実、権力の集中による独裁の弊害・・・、まさに人間の悲しい宿命をイヤというほど感じたものである。昔、サルのたとえを書いたことがある。犬の祖先はオオカミだ。今でも群のリーダーとしての習性が残っているらしい。献身的に見える犬の行動の基本は、群とそのメンバーを守ることだ。しかし、サルと共通の祖先を持つ人間にとって、群を引っ張るのはボスだ。ボスはひたすら自分の利益と権力を守るために行動する。多くのメスと食い物をひとりじめすることが基本だ。情けないけど、この共産主義国の終焉にもまったくあてはまる。権力を倒し、資本主義的な強い者勝ちのような体制をうちくずした後に、結局出てきたのが、サルのボス的習性・・。権力を集中させることは必ずその立場の人間を腐敗させる。そんな人
間の本来持つ習性を無視した理想境は、やはり崩壊したのだ。
高橋和己が存命していたら、このような現代をどう語るのであろうか?権力につぶされた左翼人は美しいままのイメージで残るけど、人間的習性を捨てきれないまま、権力を持ってしまった左翼人の終焉・・・、そんなことをテーマに、書いてくれていただろうか・・・?